C-Pro シープロ海外公演事務局
Concert-Projects Intercultural Events Coordination
ウィーン楽友協会ホール
Wiener Musikverein Goldenersaal
「期待が如何に大きかろうとも、ひとたび足を踏み入れれば誰でも、目を奪うホールの美しさ、絢爛豪華な細部の装飾に圧倒される。」
これはムジークフェラインのオープニングを報じた新聞の一節である。
落成を記念する最初のコンサートが催されたのは1870年1月6日のことであった。
しかし、落成コンサートで聴衆を圧倒したのは、その豪華な建築ばかりではない。
大ホールの音響は人々にとってまさしく奇跡であった。
音響の奇跡は、今日まで聴衆に深い感動を与え続けている。
今日もなお大ホールは音響学のメッカであり、その奇跡の響きを体験する為全世界から専門家が訪れる巡礼地となっている。
ムジークフェライン大ホールの中に実現された音響と空間の完璧な融合は、世界的に見ても唯一無二の存在だからである。
大ホールの晴れがましい雰囲気は”煩わしい日常生活の全てを”取り除く作用を持っているというのが、
当時の別の音楽評論家カール=エドワルト・シェレの見解である。
彼の説によればムジークフェラインの大ホールは、音楽に理想的な環境を生み出しているばかりでなく、
それ自体が音楽なのである。
「…建築的統一性、装飾、色調、群像の組み合わせなどは、正しく音楽的と呼ぶに相応しい感性を示している。
モーツァルトのジュピター・シンフォニーを確たる視覚的フォルムに置きかえて再構築することが可能なら、
それはムジークフェラインの大ホールとなることだろう。
ハンセンとモーツァルトは、奥深いところで共通の本質を有している。」
ムジークフェライン大ホールの何が、あの輝かしい音響を生み出すのであろうか。
当時の音楽評論家テオドール・ヘルムの推定によれば、「純粋な奇跡」となるのだが、
設計を担当したハンセンの技術と想像力によるものであることも確かな様である。
つまり、ムジークフェラインの「奇跡の音響」は、建築史上の傑作から生まれた「必然の帰結」であるわけだ。
直方体という基本構造がコンサートホールの音響にとって理想的な空間であることに加え、
いくつかの細部が音響効果にプラスの作用を与えている。板張りの床下には一定の空間があり、
バイオリンの共鳴胴のような役割をしている。また木製の天井にも同様の効果がある。
これは単に取り付けられたものではなく、吊り天井になっており、一層豊かな音響を生み出すのだ。
しかし、実際にこのような要素がいかに「奇跡」を作り上げているのかについては現在なお幾多の音響学者の論議の的でもある。
あらゆる芸術的細部を超越してムジークフェラインの建物が表現しているのは、最も本質的な事柄である。
協会設立者が理想とした通り、完璧な美学を示す建物では、全ての部分が等しく重要であり親和力をもち、
何者をも排除せず、全ての人々を結び合わせる。
1744の座席と300の立ち席合わせて2000人以上の聴衆は、音楽を愛する心によって一つに結び合わされているからである。
親しい人々と音楽の喜びを分かち合うこと――これこそ楽友協会が掲げる至上の理想であり、永遠の使命なのである。
参考:Musikverein 公式ホームページ